何を縁(よすが)とするのか?
2010.06.25
一昨日、「ザ・ウォーカー」という映画を観てきました。
原題は「イーライの本」と云います。
近未来の話(年代は不明)、大きな戦争の後、廃墟と化した世界で、一冊だけ残った「本」を西へ西へと運ぶ一人の男。これが、イーライなんですが。
その本を探していた、独裁者をめざす男との闘い。
これだけのキーワードで何の本かわかりますよね。
そうです、「聖書」。バイブルです。
西欧的な思想というか、「神」の啓示というものは映画の題材になりやすいのでしょうね。
横丁の靴や的には、「伝える」ってコトの重要性を再認識させてくれるものでした。
詳しく書こうとすると、映画のネタバレになってしまいそうなのでやめますが、何もなくなってしまった、混沌とした時代(これは現代に近いものを含んでいる)に、光明(たいまつ)を探すようなそんな感覚をもちました。
どうも、自分を含め、多くの人はこれがあれば安泰みたいなもの、つまりバイブルに頼ろうとする嫌いがありますが、そうではなく、その中身、というか思念(考えること)こそがとても重要である、と教えてくれたよう。
これをすれば、もう大丈夫、映画で云えば「本」を手に入れさえすれば、その中の言葉をつぶやくだけで人を束ねることが出来るみたいな、そのような安易な思考を駆逐するラストの15分。
自分にとっては、イーライの信仰のように日々の積み重ねが最後には「奇跡」を起こす。そのようなことを強く感じさせられました。
大変深い映画でした。
「アリス・イン・ワンダーランド」と云い、この「イーライの本」と云い、このところ思索的な映画が多くなったようで、とてもうれしいと思っている、横丁の靴やでした。