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9.11

2006.09.11

9.11というと、6年前の「東海豪雨」そして5年前の「アメリカでの同時多発テロ」を思い出します。

 

9.11

 

 

上の写真は、その2年後(2003年)に世界貿易センター跡地に掲げられていた「被害者名簿ボード」ですが、実際に現場に立ったときには震えが止まりませんでした。

一瞬にして多くの命が奪われ、その家族の方達の深い悲しみと無念を思うと、本当にやるせない気持ちになったものでした。
その後のアメリカの行動(陰謀説も含め)や国際社会の大きな転換などについては触れませんが、約3000人の方々が亡くなられた事実は消えることはありません。

 

また、その一年前の2000年の名古屋を中心とした未曾有の集中豪雨。
死者・負傷者数は、同時多発テロほどではありませんが、各地に大きな爪痕と深い悲しみと経済的損失をもたらしました。

その後、例えば今年の夏などがそうですが、各地で突発的なとんでも無いような災害が頻発しています。専門家などの間では、地球温暖化によるいろいろな問題なども指摘され、実際にそれらが現実のものとなってきているような気がします。

 

横丁の靴やのような一介のオヤジが扱うには、とてつもなく荷が重い話題ではありますが、書いてしまいました。ごめんなさい。

地球の誕生からすれば、人類の栄えているこの時代なんて、本当に矮小な、それこそ「あっ」という間もない期間ですよね。
でも、自分も含め、今生きている人間にとっては一年でも結構長い時間ではあるし、その日々の一瞬一瞬はかけがえのないものでもあります。

そのような中で、地球時間なんて考えることは普段ありませんよね。
(私は、放送大学の臼井先生にこのことを教えていただきました。大変感謝しています)

 

寿命のある間は楽しく生きることは考えても周りとの調和(例えば、自然環境とか人種問題とか)なんぞはあまり考えようとはしませんよね。私なんかは完全にそのひとりです。

しかし、そろそろ、そういうことを考えなければいけない時期に来ているように思うのです。限りある資源を有効に使ったり、地球レベルで人と自然との共存・調和を意識したり。

あくまでもイメージなんですが、何か大きな振り子のようなものがかなり一方の極に近づいて、その揺り返しが始まろうとしているような感じもします。
それがどんなものなのかは全く以てわかりません。
人間の善と叡智を信じれば、よい方向に向かうのかなと・・・??

 

でもでも、何か自分で出来ることはなんなのだろうと問いかけることを始めたいと思った、横丁の靴やのつぶやきでした。今日9.11に。

 

Ps.
まことにすみません。意味不明の雑文です。
何かそんな気分になってしまい、一息に書いてしまいました。
読まれて不愉快になられた方がおみえになりましたら、お詫び申し上げます。
アホな横丁の靴やとお笑いいただければ幸いです。

 

“9.11” への4件のフィードバック

  1. 確かにそのとおりですね・・。
    自分ひとりだけが、何が出来るわけでもありません。
    そのなかで、だからこそ、「自分だけは」という基準をもっています。
    一番小さな、「自分と言う単位」ですが・・・
    自分がされて嫌なことはしない。
    自分ができそうなことは、この程度です。

  2. 確かにそのとおりですね・・。
    自分ひとりだけが、何が出来るわけでもありません。
    そのなかで、だからこそ、「自分だけは」という基準をもっています。
    一番小さな、「自分と言う単位」ですが・・・
    自分がされて嫌なことはしない。
    自分ができそうなことは、この程度です。

  3. やまださま、こんにちは。
    シリアスな話にお付き合いただき、まことにありがとうございます。
    :自分がされて嫌なことはしない。
    世界中の人がこのようになれば、もっと住みやすい平和な世の中になるのでしょうが。。
    「自分という小さな単位での基準」
    さすがに、やまださんですね。
    横丁の靴やも、それを大切にしたいと思います。

  4. やまださま、こんにちは。
    シリアスな話にお付き合いただき、まことにありがとうございます。
    :自分がされて嫌なことはしない。
    世界中の人がこのようになれば、もっと住みやすい平和な世の中になるのでしょうが。。
    「自分という小さな単位での基準」
    さすがに、やまださんですね。
    横丁の靴やも、それを大切にしたいと思います。

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