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いい時代に生きているって感謝します

2017.01.27

一昨日、本年二作目の映画を観に行ってきました。

 

遠藤周作さん不朽の名作を名監督マーティン・スコセッシ氏が30年近く温めてきて、やっと実現した映画、「沈黙 サイレンス」です。

 

映画 沈黙

映画.com より

 

予告編の段階から、是が非でも観たいと思っていた作品です。

17世紀江戸時代初期のキリスト教弾圧の下で苦しみ、棄教するポルトガル人宣教師を描いたこの小説と、その映画化。

 

内容は、観ていただければ分かるので書きませんが、思うことはいくつもありました。

なぜ、今なのか?

誰に向けての発信なのか?

そも信仰とは宗教とはなんぞや、って感じが橫丁の靴やの頭を連打していきます。

 

宗教って、人類が連なっていくために生まれた共同幻想って虚構(フィクション)って思っている横丁の靴やにとって、「転ぶ(改宗、棄教も含めて)」って「カタチ」だけで構わないのら、全くよいのではと思っています。

それなのに、踏み絵を拒んで火あぶりにされたり、残虐な目に遭ったり。

こころの中での信仰なら、生きていくためなら外面的なものは全く構わないのではと思っている橫丁の靴やからすれば、どうしても解さないものが残ります。

外面とこころの中は違って、まったく問題ないと思うのですが、信仰心のない橫丁の靴やの独りよがりでしょうか。

それを思うとき、映画のエンドシーンはとても秀逸な顕し方だって感じました。

 

元々、一神教の教えはそれを説き広めるために幾多の殺戮をしたことか。

それは、ナチズムやソ連邦の共産主義にもつながるものでもあった、と思います。

その後、人類は少しは進化してきたはず。

それを思うとき、なぜ、今なのか?って感じるのです。

世界が非常に内向きに向かっている(ように思える)今、問いかけているものの意味は大きいのかなと。

あまり宗教や政治に触れるのは、このブログには似合わないのでこの辺にしますが、考えてしまうタイミングなのかなと。

でも、こんなことを自由に書ける「今」って、考えてみればとてもすばらしい時代かと思います。

感謝するとともに、これを後退させないようにしなければいけない責務のようなものを負っていることに心します。

 

それにしても、グイグイ引き込まれていく作品でした。

カメラワークも素晴らしいものですし、主人公役のアンドリュー・ガーフィールドさん、そして日本人俳優たちの演技は秀逸でした。

弱いのか強いのかわからないキチジロー役の窪塚洋介さん、滑稽さと残虐さを織り交ぜ演じてみせた長崎奉行役のイッセー尾形さん、通辞 (通訳) 役の浅野忠信さんらをはじめ、村人たちを演じた俳優さんたちが、この映画をとても深くてリアルなものに仕立ててくれたようです。

 

今のこの時代に生きていることに感謝しながら、もう一度、観に行きたいと思っています。

 

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