当然ですが人は皆違っているんですね
昨日、映画を2本観ました。
1本は、封切られたばかりの福山雅治さん主演の「SCOOP」。
とても面白かったのですが、今日のブログで取り上げたいのは、「SCOOP」のなかで共演されていた吉田羊さんが母親役で熱演されていた「ビリギャル」です。
昨年だったでしょうか、坪田信貴さんの小説がブレークして映画化されたものですが、こちらも直ぐに観に行きましたっけ。
昨夜、ふっと感じるものがあって、Amazonプライムで観なおしました。
書籍もよかったですが、映画はまた秀逸でした
人間の可能性って云うか、主人公のやる気の凄さとそれによって引き起こされた奇蹟の物語。
以前観たときには、学年最下位の女高生が、あの難関の慶應義塾大学に合格するストーリーに驚嘆したものでした。
けれど昨日、「SCOOP」のなかの吉田羊さんを観てから、あの母親としての羊さんを眺めると、「ビリギャル」のもっと深い本質的なものが見えてきました。
それは、「学習環境」です。
おさぴーの師匠、小阪裕司先生も言っておられますが、「人は皆違っている。そして、それは脳の配線がみな違っているから」なんだそうです。どうしても、少し毛色が違うだけで、変なレッテルを貼って阻害したり無視をしてしまう傾向が人間には多いようです。
でも、みんないろいろな個性を持っているし能力にも種差があるんですね。ですから、ある到達点に達するのに時間の掛かり具合も違うし、行き着くルートも違うわけです。
それを信じて支えて導く、そんな環境。そう、「学習環境」がとても大事なんですね。
これからのAIなどの先進技術によって、Q&Aなどは直ぐに出てくるような環境になってくれば、いかに目標到達点に到達するのに必要な「問い」を発せられるかどうか。
ビリギャルの主人公、さやかちゃんの映画前半での個性的というかユニークな考え方、発想がどれだけ大切か。
そして、そんな能力を巧に愛情を持って引き出し開花させた、もうひとりの主人公坪田先生と信じて支え続けた母親の物語でもあったと、ハタと気がついたわけです。
まあ、多くの方は最初から気がつかれたのでしょうが、おさぴーは昨夜トンと腹おちしたのです。
こんな「学習する環境」が、これからの社会にとっても大事だって思ったのです。
現在の会社や商店などの組織の中でも急務で必須の課題なのかなとも思った次第です。
おさピーなどは、アホでもって性急なところがあるので、余計に感じるものが多かったのです(^_^;)
いやぁ、「ビリギャル」かなり深い映画です。