過去は及ばず、未来は知れず
GW連休の最後の日、5日の水曜日。
お昼ご飯のあと、思い立って宇治へ出かけました。
何故だかわかりませんが、無性に平等院の藤の花を見たくなったのです。
この頃、すこぶるフットワークがよくなったのか、
それとも、こらえ性がなくなった、、と云うのか^^;、こうしたいなあと思うことで他人様にご迷惑のかからないことは、即行動を心がけている、横丁の靴やです。
何なのでしょうか?
思うに、
もし今日が人生最後の日だったら、やりたいことはしておきたいよね!
と云う、そんな気分がどこかにあります。
そして、その背景には、昔、どこかのお寺で見た「言葉」
「過去は及ばず、未来は知れず。さしあたるその事のみをただ思え」
だったかな ? そんなような言葉があります。
また、尊敬する中村天風師も、このようなことをどこかで述べられていたと記憶しています。
曲解しているのかも知れませんが、これは、今の自分にとって、強烈な影響を与えているようです。
今を一生懸命に生きていくことって、何か「格好悪い」ように取られる風潮もありますが、自分は、発っする”熱”を感じながら、声に応じて、その方向へ一生懸命向かっていきたいなあと思っているのです。
ごめんなさい。
何か変な話になってしまいました。
で、話を元に戻します。
これまで、何度か訪れていても見られなかった、あの「藤」の花を愛でることが出来ました。
きれいでしたねぇ。。
丹精込めて育てられた花が、生き生きと命の尊さを詠うように咲いているさまは、とても見事でした。
とても、横丁の靴やの写真に収まるようなものではありませんが、少しでも感じていただければ幸いです。
また、宇治ですてきな商いをされている仲間にもお会いすることができ、その彼の”熱”とパワーを感じられたことも、とてもよかった!です。
すばらしい一日になりました。
やはり、心の赴くままに行動する、ってことも大事だなぁって、思ったのでした。
これからも、とらわれることなく、動き続けたいと思っています。